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縄文時代の袖ケ浦「国史跡 山野貝塚」をご存知ですか

印刷用ページを表示する 更新日:2024年4月1日

山野貝塚 -房総半島に現存する最南部の縄文時代後・晩期の大型貝塚-

 市内飯富(いいとみ)に所在する山野貝塚(さんやかいづか)は、縄文時代後・晩期(今から約4,500年前~2,500年前)の遺跡です。

 非常に残りの良い遺跡で、現地に赴くと、東西140m、南北110mの範囲に馬蹄形(ばていけい)に高まる貝塚を見ることができます。

 教育委員会では、山野貝塚の重要性を市民の皆さんに周知するために、平成12年度に袖ケ浦市の文化財に指定しました。

 さらに、この山野貝塚が千葉県にとっても重要であるとの認識から、平成21年度に県の史跡に指定されました。

 教育委員会では、このような山野貝塚について、国史跡の指定を受け恒久的に保存し、将来的には、袖ケ浦市郷土博物館や飽富神社などの周辺の文化施設や文化財と一体化した活用を図ることを目的として事業を進め、平成29年10月13日に国史跡に指定されました。

 その後、令和元年度に山野貝塚の保存・活用の取扱いを定めた袖ケ浦市国指定史跡山野貝塚保存活用計画を策定し、さらに令和5年度に整備に基本方針を定めた史跡山野貝塚整備基本計画を策定し、事業を進めています。

貝塚とは

 貝塚とは、貝が積み上げられ塚状に盛り上がったものをいいます。
 貝塚では貝殻の持つカルシウム分により酸性土壌が中和され、台地上の遺跡では残りにくい、動物の骨や人骨、骨・角・牙等を素材とした道具(遺物)が発見されます。
 また、土器・石器など通常の生活に用いられた道具の他、土偶(どぐう)・土版(どばん)、石棒(せきぼう)・石剣(せっけん)など、お祭りに利用された道具も発見されます。
 さらに、貝塚からは住居やお墓などの生活の跡(遺構(いこう))も発見されます。
 これらの遺構・遺物の存在から、貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、縄文人が生活した場所であったことがわかります。
 貝塚は縄文人たちの生活をまざまざとよみがえらせてくれる場所なのです。

高まりと窪み

 山野貝塚は、馬蹄形の高まりの内側に窪んだ空間(中央窪地(ちゅうおうくぼち))があり、高まりと窪地の高低差は最大で1.2mあります。
 この窪みは、山野貝塚に営まれた集落の最終段階である晩期に形成され、現在よりもさらに窪んでいたと考えられています。
 そのため、高まりと窪地の高低差は、縄文時代晩期はさらに大きかったと想定されます。
 今後の整備においては、縄文時代晩期に形作られたこの地形を復元する計画を進めています。

山野貝塚パンフレット

 山野貝塚の内容を分かりやすく解説したパンフレットを作成しましたので、ぜひご覧ください。

 山野貝塚パンフレット

山野貝塚総括報告書

 市では、重要な遺跡である山野貝塚の学術的な価値を確認するために、過去7次にわたる発掘調査の成果をまとめた「総括報告書」を作成しました。

 市内で最も重要な遺跡と呼べる「山野貝塚」が、この一冊に込められています。

 貝塚研究者のみならず、市内の歴史に興味をお持ちの方、ぜひ一度お手に取ってご覧下さい。

 

山野貝塚総括報告書(デジタル版)がダウンロードできます

報告書の引用等で誤りがありましたので、お詫びして修正いたします

 平成28年7月4日以前にPDFをダウンロードされた方につきましては、お手数をおかけいたしますが、以下のファイルを参照していただきますよう、お願いいたします。

修正版

 

 

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