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袖ケ浦市内には500以上の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)が所在しています。
教育委員会ではこれらの遺跡の発掘調査を行い、報告書を刊行し、図書館等で公開しております。
ここでは一部の報告書をデジタル化し、公開いたします。
平成28年7月4日以前にPDFをダウンロードされた方につきましては、お手数をおかけいたしますが、以下のファイルを参照していただきますよう、お願いいたします。
打越岱遺跡は、袖ケ浦市の上泉地区に所在する遺跡です。
第4次調査では、縄文時代早期(今から約11,500年前~7,000年前)の生活跡が多数確認されました。なかでも、縄文時代早期中葉沈線文期(今から約9,500前)の土偶がほぼ完全な状態で出土しました。全国的にみても、この時期の全体の形状がわかる土偶は今のところ確認されておらず、縄文時代の土偶を考えるうえで重要な資料であることから、令和4年2月に市の指定文化財となりました。
中六遺跡は蔵波に所在する遺跡です。
近年新しい住宅地としての開発が進んでいますが、この場所に古墳時代の村があったことをご存知でしょうか。普段何気なく通り過ぎるこの場所が、特別なものに見えるかもしれません。
宮ノ後遺跡は神納地区に所在する遺跡です。
第6次調査では、弥生時代後期から古墳時代前期の集落が見つかりました。神納地区の古の人々が暮らした集落について探ってみましょう。
滝ノ口向台遺跡は滝の口地区に所在する縄文時代から古墳時代にかけての遺跡です。
第3次調査は、市内では数少ない縄文時代中期(約4,500前)の生活の痕跡が発見されました。
様々な開発行為に伴う発掘調査ですが、ここでは比較的小規模な調査を一冊にまとめています。しかし、小規模な調査からも重要な情報を読み取ることができます。
上大城遺跡は、久保田地区に所在する旧石器時代から奈良・平安時代にかけての遺跡です。
第3次調査では、縄文時代早期(約9,500年前から6,000年前)の炉穴が見つかり、この遺跡が長期にわたり生活の拠点であったことがわかりました。
現在の袖ケ浦市の臨海部には工場地帯が広がりますが、かつては内房線の西には海が広がっていました。その海を見渡す高台から、古墳時代の竪穴住居が発見されました。この家に住んでいた方は、どのような生活を営んでいたのでしょうか。
寒沢遺跡は市内蔵波から神納橘地区に所在する、主に縄文時代の遺跡です。
第7・8次調査では大規模な縄文時代早期炉穴群(約9,500から6,000年前)が発見されました。
住宅地のすぐ近くの意外な歴史をご覧ください。
水神下遺跡は、袖ケ浦駅海側の奈良輪高須地区に所在し、袖ケ浦駅海側特定土地区画整理事業に伴い、発掘調査を行いました。
古墳時代から近世にかけての大量の遺物や、人々の生活の痕跡が発見され、特に小銅鐸・小型銅鏡・石製垂飾品の発見は話題となりました。
新たな町に生まれ変わる袖ケ浦駅海側。その当初の姿を垣間見ることができます。
平成22年度から24年度に発掘調査を行った水神下遺跡から発見された小銅鐸・小型銅鏡・石製垂飾品は、発見状況が全国的に見ても極めて珍しい例として注目を集めました。
そこで、これらのものが袖ケ浦の地にもたらされた意義について、より一層明らかにするために再度分析を行いました。
古代国家形成期におけるヒト・モノの流れと袖ケ浦の関係を見ることができます。
寺野台遺跡は、川原井地区に所在する、主に奈良・平安時代の遺跡です。
第5・7次調査では、9世紀から10世紀にかけてのものと思われる大量の土器や、土器を焼き上げた痕跡が見つかりました。これらの発掘調査の成果から、古代の土器づくりの様子が垣間見えます。
袖ケ浦市指定文化財「小高神社本殿」は18世紀初頭に建築されたと推測され、その高い建築水準から平成4年に市指定文化財となりました。
しかし痛みが激しく、このままでは保存が困難であったため、平成23・24年度に解体修理工事を行いました。
併せて、本殿基壇下の発掘調査を行い、「礫石経」(一文字一文字お経を書いた小石)が発見されました。
なぜ神社にお経が納められたのかや、建築当初の神社の姿を推測します。
袖ケ浦市では開発行為に伴って失われる遺跡を記録保存するため、国及び県からの補助金を受けた発掘調査を行っています。それにより調査された遺跡を市内遺跡と呼称しますが、ここでは市内遺跡発掘調査報告書の一部をご紹介します。