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掘った!見つけた!袖ケ浦の遺跡(水神下遺跡)

印刷用ページを表示する 更新日:2015年8月6日

古代・中世・近世を結ぶ水神下遺跡 -袖ケ浦駅海側の別の姿-

 今回は、袖ケ浦駅の海側約100mに位置する水神下遺跡をご紹介します。現在袖ケ浦駅海側の区画整理事業を行っておりますが、そこが遺跡であることはあまり知られておりません。水神下遺跡と呼ばれるその遺跡を区画整理事業に伴い発掘調査を行ったところ、主に古墳時代(約1,700~1,300年前)と中世(約800~400年前:鎌倉時代~戦国時代)、近世以降(約400年前~:江戸時代以降)の遺構・遺物が発見されました。

まとまって発見されたお祭りの道具

 現在は平らな地形となっていますが、発掘調査により古墳時代の水神下遺跡には、川が流れていたことがわかりました。その川の中や周辺で大量の土器が見つかりました。
今回注目すべき点は、大量に出土した土器の他に、青銅製の小銅鐸と小型銅鏡、石製の垂飾品がまとまって発見されたことです。
それぞれ単独で発見されることはありますが、今回のように3点まとまって発見される例は全国的に見ても非常に珍しく貴重な発見となりました。
小銅鐸と小型銅鏡はお祭りに使われた道具と考えられますが、なぜ川の中から発見されたのでしょうか。その点が大きな謎となっています。
大量に出土した土器のほとんどは、日常的に使用する甕が多く、その大半は壊れていました。
おそらくこれらの土器は、川に捨てらたものと考えられますが、土器に混じって出土した小銅鐸等も捨てられた可能性があります。関東地方から出土する小銅鐸の多くは、古墳時代前期前半(約1,700年前)にその役割を終えていたと考えられています。
川跡から出土した土器の中には、小銅鐸が使用された後の時期の土器もありますが、そのうちの一部の土器はお祭りに使われたと考えられています。
つまり、小銅鐸・小型銅鏡・垂飾品を用いたお祭りの方法が時代の流れによりその役目を終え、土器を使った新たな祭りへ変わったことから、まとめて川の中へ納められたとは考えられないでしょうか。

小銅鐸、小型銅鏡、垂飾品の写真出土時の写真

その他のお知らせ

今回紹介した水神下遺跡の発掘調査報告書のデジタル版を公開しています。
より詳しく知りたい方は、そちらもご覧になってみてください。
発掘調査報告書デジタル版のページへ