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掘った!見つけた!袖ケ浦の遺跡(中六遺跡と寒沢遺跡)
縄文時代の調理場?‐中六遺跡と寒沢遺跡‐
中六(ちゅうろ)遺跡や寒沢(かんざわ)遺跡は、蔵波地区にある縄文時代早期(約9,500~6,000年前)の遺跡として知られていますが、「炉穴(ろあな)」と呼ばれる縄文時代早期の炉の跡が約570基も発見されました。市内の遺跡からこれほど多くの炉穴が発見された例はありません。炉穴とは、その名のとおり地面に掘った穴の中で火を焚いた跡ですが、住居の中に作られたものではなく、野外に設けられたと考えられています。炉穴の内部は、赤く焼けていることから、土器を置いて煮炊きによる調理や、魚や肉などの燻製を造っていたとも考えられています。中六遺跡や寒沢遺跡の炉穴からは、貝類や炭になったクルミが見つかっていることから、これらを調理していたのかもしれません。
巨大な炉穴群
また、炉穴は同じところに何度も何度も作り直されてアメーバー状に広がるという特徴もあります。これは、縄文時代早期の人々が1つの場所にとどまらず、別の場所に移動し、再び同じ場所に戻ってくるという回帰的な生活を営んでいた証拠とも考えられています。袖ケ浦市内の台地上には、中六遺跡・寒沢遺跡の他にも縄文時代早期の遺跡が数多くあります。これらの遺跡は、袖ケ浦の台地を移動しながら生活していた縄文時代早期の人々の存在を明瞭に物語っています。
発掘調査報告書デジタル版
今回ご紹介した、寒沢(かんざわ)遺跡の発掘調査報告書のデジタル版を下記のページで公開しています。
より詳しく知りたい方は、ぜひご覧になってください。
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