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戦後80年記念植樹┃被爆アオギリ二世
被爆アオギリ二世について
1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された一発の原子爆弾によって、広島の街は廃墟と化し、14万人もの市民が亡くなりました。被爆したアオギリの木は、被爆の惨禍に遭いながらも焦土の中で青々と芽を吹き返し、市民に生きる勇気と希望を与えました。そして、1973年に平和記念公園に移植されたアオギリは、現在に至るまで核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴え掛けています。
平和首長会議では、この被爆アオギリが実らせた種を育て、成長した苗木を被爆樹木二世として広く配布しています。
令和7年8月の生育状況
本年3月に市役所に植樹された「被爆アオギリ二世」は、現在、青々とした大きな葉を広げながら、すくすくと育ち、背丈30cmほどに成長しています。
このアオギリは、広島の被爆を生き延びた木から生まれた命の証であり、平和の象徴でもあります。
私たち一人ひとりが、平和の尊さと命の重みを心に刻み、その思いを次の世代へと語り継いでいくこと。
それこそが、過去に学び、未来へとつなぐ、私たちの責任です。
袖ケ浦市は、被爆アオギリ二世とともに、平和の大切さを伝え続けてまいります。
令和7年3月 被爆アオギリ二世の植樹
令和7年3月、多くの方が平和への想いを育むきっかけになるよう願いを込めて、平和首長会議から受領した被爆アオギリ二世の苗木を袖ケ浦市役所に植樹しました。
落葉樹のため、現在は葉が落ち、幹だけの状態となっていますが今後のアオギリの成長が期待されます。
3月撮影(植樹後)
令和6年6月 被爆アオギリ二世の受領
令和7年8月に終戦80年という大きな節目を迎えるにあたり、袖ケ浦市では平和首長会議事務局より令和6年6月に被爆アオギリ二世を受領しました。
今はまだ小さいアオギリですが、将来は袖ケ浦市の平和のシンボルとして大きく成長することを願っています。
6月撮影時 12月撮影時