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広報そでがうら+ vol.62 俳優 高品 雄基 さん

印刷用ページを表示する 更新日:2023年3月3日

 高品雄基さん

広報そでがうら+ vol.62

俳優 高品 雄基 さん

 袖ケ浦市平川中学校出身で、現在俳優として活動する高品雄基さん。
3月10日(金)から全国で公開される映画「有り、触れた、未来」(@arihuretamirai_movie)に出演しています(3月3日宮城県先行上映)。
 また、この作品の制作のために結成されたプロデューサーチーム「UNCHAIN10+1(アンチェインイレブン)」の一員として、出演だけでなく制作にも参加されました。
 今回、広報担当が試写会に潜入し、試写会後に、高品さんの現在の活動や今作品についてインタビューしました。

現在の活動について教えてください。

 フリーランスで俳優をしています。テレビ・映画などの映像や、舞台に出演しています。また、「劇団TEAM-ODAC」に所属し、活動しています。

俳優になったきっかけは?

 就職活動で、芸能事務所を受けたことがきっかけでした。
 大学3年生の時に、就職活動で1社だけ一般の企業を受けて、最終面接までいったのですが、落ちてしまって。落ちた時に「やばい、俺やりたいこと何も思い浮かばない」と思って、何も動き出すことができませんでした。また、そのタイミングで、肺気胸という病気で1週間ぐらい入院することになって・・・。その入院生活で、映画を観たり、ドラマを観たり・・・今思えば、それで支えられていたのが影響していたかもしれないですね。
 退院してから、就職活動を再開し、芸能事務所を探し始めました。この時は、「人に夢を与えたい」とかかっこいい理由じゃなくて、本当にエントリーシートを送る気持ちで、芸能事務所にエントリーして、大学3年生から俳優活動を始めることになりました。
 最初は役者の仕事をなかなかもらえなかったり、仕事をもらってもバラエティ番組の再現VTRの写真の役だったり、思い出したくもないような仕事を涙しながらやったこともありましたね(笑)。そんな中で、「舞台に出てみる?」と誘われて、大学3年生の時に初めて舞台に出演しました。この初舞台が自分にとってのお芝居のスタートでした。

初舞台の感想は?

 初舞台は、個人的にはすごくいい感じだと思ったのですが、観に来てくれた先輩や事務所の方には「全然よくなかった、何も変わってない」と言われて、めっちゃ泣きました(笑)。この時はまだ、子どもの時に「お芝居をやってみたい」と思ったぐらいのレベルだったんだと思います。このままじゃまずい、せっかく就職したのにお金にならなかったら意味がないなと思って、そこから必死に勉強したのを覚えています。

特に俳優としてのスイッチが入ったきっかけは?

 この映画の時ですね。もちろんそれまでもスイッチ入りまくりでしたが、この映画の時が特にスイッチが入ったなと思います。
 この映画の撮影は約2年前だったのですが、その少し前にコロナ禍になって、俳優という業界もとても厳しい状況におかれた時に、なんか、自分が芝居しなくても世の中は回っていくし、まず世の中から排除されるものだったのかと感じました。
 そんな中でも、今回の作品に携わって「いやいや、俺にもできることがあるぞ」って思いになって、今もその思いでやっています。仮に、今回の作品のように「命」がテーマの作品でなくても、どの作品をやるにも誰かの活力に、誰かの助けになると思っています。例えば、好きなドラマとか、来週を楽しみにする気持ちって誰にでもあると思うんですが、それだけでも素敵だなって思います。

今回の映画「有り、触れた、未来」に込めた思い

映画

 この作品は『「生きる力」を届ける』をテーマにした作品です。山本透監督の「コロナ禍の閉塞的な社会で、自殺者や不登校児童が増えるなか、命の大切さを伝える力強い作品を作りたい」という思いのもとに集まったメンバーで、企画から資金集め、制作まで、自主映画としてゼロからスタートしたものです。東日本大震災の被災を背景とした家族やさまざまな人々の命と向き合う複数の物語を通し、人々が支え合うことの尊さを描いています。
 この映画は自主映画であり、商業映画と違って、監督が本当に届けたいものを作った、まっすぐな作品になったなと思います。それって自主映画にしかできないもので、これが今届けられる全力だと言い切れますね。やり残したことはありません。
 「生きる力」って何なのか、人によって違うと思うんです。でも、僕は明日を少しでも楽しいかもなって思えるようにしたいという思いがあって。支え合って生きていく、人と人がつながって手をつないで、一緒にご飯食べて、それだけで幸せで生きていけるなって思います。

この作品の見どころ

 実際に存在しているもの、実際に生活されている皆さんが出演してくださっていることが、この作品の見どころのひとつです。
 撮影は、約1カ月間泊まり込みで、すべて宮城県で行ったのですが、地元の方々にたくさん支えていただきました。
 作品中に、和太鼓の演奏やたくさんの青い鯉のぼりが掲げられているシーンがあるのですが、青い鯉のぼりプロジェクトさん(@aoikoinobori_project)の全面協力によるもので、今年も3月と5月に行われる予定です。その他にも、今の仙台や石巻などの様子が写っています。そして、今の保育園や幼稚園の子どもたちも写っていて、セリフではなく、命について今思っていることを映画の中で話しています。その子たちが大きくなってからこの作品を観たら、何を思うのかな。何か感じてくれるんじゃないかなと思います。
 また、自分の心が震えたところは、最後のエンドロールに、この作品に関わった方々全員の名前が出るところです。僕たちが宮城で過ごして関わった人たちの名前や協賛してくださった方々、エキストラで出演してくださった方々の名前が出てくるのを見て、一番心震えました。
これが、映像として100年後とかに残り、未来に届けられるので、すごく尊いことだなと思いました。

高品さんの今後の目標を教えてください。

 応援してくれているファンの方々や、お世話になった人、支えてくれた友だちに恩返しをしたいですね。あと、親孝行をしたいですね。親が「あれがうちの息子です」と自慢できるようになったら嬉しいですね。
 そして、いつか袖ケ浦で映画を撮りたいです。袖ケ浦もどんどん変わっているじゃないですか。実際、僕が年末に袖ケ浦に帰った時に何回か行きましたが、温泉施設ができていたりと、僕が知っている景色はもう残っていなくて。でも今映画を撮ったらそれが10年後、100年後にも残って、自分の子どもが生まれた時に、自分が住んでいた時の袖ケ浦を見せてあげることができます。袖ケ浦の人たちと一緒に映画が撮れたら、その時生活していた袖ケ浦の人たちが、映像に永遠に残ります。それが映画のすごいところだなと思います。これは、山本透監督、そして「有り、触れた、未来」から教えていただきました。
 今回の映画も、宮城の方が出ていたり、東京の俳優でボランティアで宮城までエキストラとして来てくれたりしました。本当にちらっと映る、セリフがない人が東京で活躍している俳優だったり。みんな「監督の作品を支えたい」と思って集まったメンバーです。人のつながりは大切です。特に自分にとっては、人のつながりしかありません。袖ケ浦でもいつか挑戦したいですね。

将来の夢を教えてください。

 有名になりたいです。有名になりたいであってるかな?(笑)テレビや映画などの映像に出演することが、親孝行やお世話になった人への恩返しに繋がるかなと思いますので、がんばりたいですね。
 また、自分は普段わりとコメディ系の舞台に出演することが多いので、舞台で目の前でみんなに笑ってほしいですね。舞台だと笑っているお客さんの反応が声で聞こえて、自分もどんどん楽しくなります。同じものを共有出来ているんだろうなという感覚がとても楽しいです。
 だから映像も舞台もずっと続けていきたいですね。

最後にメッセージをお願いします。

 俳優という世界は、厳しい世界だとは思いますが、この道を選んだことは全く後悔していません。今のところずっと楽しいので、悔しいこともありますけど、今人生3分の1ぐらいの地点だと思いますが、ずっと楽しいですね。
 僕が俳優を目指した大学3年生の頃には、あまりお芝居という文化が袖ケ浦にはなくて、周りに俳優になった人もいなかったので、俳優になると決める時、周りに言えなかったですね。周りにそういう人がいなさすぎて。言うのもこっぱずかしいなと。初めて出演する舞台が決まってから、親に「俳優に就職する」と言いました。
 もしこの記事を見て俳優を目指したいという人がいたら、めっちゃ嬉しいですね。自分が教えられることがあったらなんでも教えます。むしろ一緒にがんばりたいですね。自分が、子どもたちのやってみたいというきっかけを与えられたら素敵です。
 そして袖ケ浦にもお芝居という文化が広まって、志した人が気軽に話せる、相談できる雰囲気になったら嬉しいなと思います。

高品さん1

高品さん舞台

舞台

映画1

映画2

映画3

2023年2月7日取材
「広報そでがうら+」では、広報そでがうらで紹介しきれなかった記事や写真を配信します。

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