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広報そでがうら+ vol.2 画家 中島 敏明 氏

印刷用ページを表示する 更新日:2021年4月8日

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画家 中島 敏明 氏
  1948年、福島県南相馬市生まれ。
  20歳の時に向かいに住む画家の作品に感動して絵を描き始め、23歳の時に千葉に引っ越し、画家・山本不二夫氏に師事。内閣総理大臣賞や二科賞など、国内外で多数の受賞歴。
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市内在住の画家・中島 敏明 氏の作品展『袖ケ浦の美術 中島敏明展 ‐画業50年の軌跡「elegyと慈愛」‐ 』が、郷土博物館で開催中です。今回は、中島氏の思いを伺いました。
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今回の作品展のテーマは「elegy(エレジー)と慈愛」。コロナ禍で「自分とはなんだろう」「生とは、死とはなんだろう」と見つめ直す機会が多くなった中で、作品を通して何かを感じ取ってもらえればと思います。
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私がプロの画家を目指したのは、20歳過ぎでした。元々音楽をやっていて、結婚した時に安定した生活をしたいと一度は企業に勤めたこともありましたが、人の心を掴む職業をしたかったのでしょうね。絵描きになりたくて、働きながら画家・山本不二夫氏のところに弟子入りしたのが始まりです。私は言葉や活字で表現することが苦手なので、自分を表現するものが絵だったのです。
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私の作品を見た方から「なぜ髪の毛や目鼻がないの?」と聞かれることがよくあります。なぜ顔を描かないのかというと、自分の心象を表現するのに不必要だからです。目鼻を描いてしまうと、描いた人物の表面しか見えなくなってしまい、伝えたいことが薄れてしまいます。「中身」を見てもらいたいから、あえて描かないのです。
  ただ、大作を描くときのエスキース(下書き)には、髪の毛や目鼻はもちろん、骨や筋肉から描き始めることもあります。形を曖昧にしてしまうと、自分の伝えたいことが正確に伝わらなくなってしまうと思うからです。
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今回は、33年間連れ添った妻の「遺作」も展示しています。亡くなる1年前にモデルをつとめてくれたこの作品は、長年「elegy」を描いてきた私に「本当の悲しみ」を示してくれました。この作品で内閣総理大臣賞を受賞しましたが、実際は妻が受賞し、私は描かされただけです。長年追い続けてきた本物の「かなしみ」や「やさしさ」の形を、妻が最後に私に教えてくれたのだと思います。
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2011年3月11日、私の故郷である東北を東日本大震災が襲いました。故郷が大変な被害を受け、いとこや仲間が亡くなり、とても辛かったです。
  そんな中、ニュースで被災者が千葉県内に避難してきていることを知りました。辛い思いをしている子ども達を少しでも元気付けたいと、避難場所へ出向き、一人ひとりにお絵かきセットを用意して一緒に絵を描いて遊びました。最後は手作りの賞状を一人ひとりに渡し、描いた作品を美術館に展示すると、子ども達はとても喜んでくれました。その時の楽しかったり嬉しかったりした思い出で、辛い出来事を一瞬でも消すことができればと思って一人で始めた活動も、仲間や所属する二科会の義援活動が立ち上がり、多くの人が動いてくれたことも嬉しかったです。その当時の様子も、今回の作品展で紹介しています。
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今回の作品展では、美術をやっている地元の学生の参考になればと思い、普通は表に出さないエスキースも展示しています。この袖ケ浦で、私が蒔いた「種」が芽を出し、次世代の育成に少しでも繋がればと思ったことも、今回の絵画展を開いた理由の一つです。
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絵には正解がありません。私の手から離れた作品は、鑑賞者にすべてを委ねます。その人が見たまま、感じたままに受け取ってもらえればいいのです。美術をやっている子ども達には「写真みたいに描かないと下手」と教えるのではなく、子どもならではの感性で、自分の描きたいものを描きたいように描ける子どもがたくさん育ってほしいです。
  私の目が黒いうちに、私の蒔いた種から芽がいっぱい出て、その中から世界に飛び出していく子どもが出てきたら嬉しいですね。
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【Information】
  期間 4月18日(日曜日)まで(月曜日休館)
  午前9時~午後5時
  入館料 無料
  問 郷土博物館
  Tel(63)0811 Fax(63)3693

室内展示1

室内展示2

室内展示3

室内展示4

室内展示5

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