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広報そでがうら+ vol.17 らくがく縄文館 -縄文土器のマナビを楽しむ-

印刷用ページを表示する 更新日:2022年2月9日

 郷土博物館と図録の写真

【広報そでがうら+ vol.17】

袖ケ浦市郷土博物館で開催中!
「らくがく縄文館 -縄文土器のマナビを楽しむ-」

 袖ケ浦市郷土博物館では、 「らくがく縄文館 -縄文土器のマナビを楽しむ-」を、2月27日(日曜日)まで開催中です。
 そでがうらに集まった約300点の「縄文土器」のみどころを紹介します!

縄文時代

 今からおよそ1万3000年~2300年前の「縄文土器」が使われていた時代

縄文土器

 名前のとおり「縄の文様がついた土器」のことをいいます(一部例外あり)。

 主に「煮炊き用の鍋」として使われていました。

☝時代が新しくなるにつれ、土器の上半部が湾曲して、張り出すものが多くなります。これは直接火があたる面が増えて、効率よく火を通すための熱効果を考えて作られていたそう。

☝博物館に展示中の縄文土器の中には、煤や焦げが残っているものもあるので、ぜひ探してみてください👀💭

 長い縄文時代の中では、キラキラした鉱物を使っていたり、特徴的な飾りが付いていたりと、時期によって流行りがあったので、色も形もさまざまです。

 縄文時代の一時期には、イノシシなどの動物をデザインした縄文土器もありました。当時は「狩猟」と「採集」の時代。イノシシは、狩りの対象となる動物でしたが、なぜ土器に表現するのか、よく分かっていません。もしかしたら縄文人のイノシシへの思いの現れなのかもしれません。

「標識遺跡」と「土器型式」

 「標識遺跡」とは、時期区分の基準となる遺跡のことをいい、有名な標識遺跡のひとつが加曽利貝塚です。

 その「標識遺跡」から発掘された土器と共通する文様や形の土器が、一定の地域に広がったりすることから、年代の同時性を示すものと考えられ、このような土器の一群を「土器型式」といいます。

 こうした遺跡や土器は千葉県に多く、たくさんの研究者が発掘に訪れました。

☝貝塚からは、土器以外にも、貝のアルカリ成分のおかげで腐らずに残った人骨が発掘されました。明治時代以降の日本では、日本人の祖先を研究することが流行っていたのです。

縄文時代のネットワーク

 今回の展示には、市内の山野貝塚で発掘された2点の土器があります。それぞれの土器には奈良県橿原市周辺の遺跡から出土する土器に似た文様が描かれており、地域間で文化の交流があったことを物語っています。

 また、当時の千葉県内で石器などに使われていた黒曜石の多くは、伊豆諸島の神津島で採れたものが使われていたことから、縄文時代には既に物流の仕組みができていたのです。

 一方で、山野貝塚では、大洗海岸(茨城県)で採れた石が使われていたりと、各地域で独自のネットワークをもっていたことも分かっています。

ものを大事にしていた縄文人

 縄文時代の人達は、ものをとても大事にしていました。

 割れた土器のそれぞれに穴を開け、紐を通し、結ぶことでくっつけて使い続けたり、縦に割れてしまった土器は壁面が鍋底になるようにして使い続けました。

☝土器だけでなく、割れた石斧の欠片を再利用して、一回り小さいものとして使っていました。
壊れたものはすぐに捨てるのではなく、さまざまな工夫を凝らし、リユースやリサイクルをして使い続けていたのです。

☝博物館の展示では、縄文土器のその他のリユース・リサイクル方法を解説しています!アッと驚く縄文時代の人達の知恵をぜひ見てください👀💭

 リユースやリサイクルをした最後、土器を捨てる時は貝塚などにまとめて捨てていました。

 「ものおくり(使い終わったものを神に送る)」の考えを持っていたので、貝塚(ゴミ捨て場)に住居やお墓をつくり、いわばゴミと共存していたのです。

Information

「らくがく縄文館 -縄文土器のマナビを楽しむ-」

 期間 2月27日(日曜日)まで(月曜日休館)
     午前9時~午後5時

 入館料 無料

 問い合わせ 郷土博物館 Tel:0438(63)0811 Fax:0438(63)3693

 

縄文土器の展示の写真 縄文土器の展示の写真

縄文土器の展示の写真 縄文土器の展示の写真

 

2022年1月取材
 「広報そでがうら+」では、広報そでがうらで紹介しきれなかった記事や写真を配信します。

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