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山野貝塚が国史跡の追加指定に答申されました

印刷用ページを表示する 更新日:2018年11月16日

山野貝塚~東京湾東岸の大型貝塚群の中で最南端に位置する大型馬蹄形貝塚~

1.国史跡追加指定の答申について

 平成29年10月13日に、山野貝塚の保護すべき範囲の約7割が国史跡に指定されましたが、残り3割についてはまだ指定されていませんでした。

 今回、未指定範囲のうち、指定に向けての条件が整った一部について、指定範囲に追加する意見を文部科学大臣あてに提出しました。

 その結果、国の文化審議会は、平成30年11月16日(金曜日)に開催された同文化審議会文化財分科会の審議・議決を経たのち、文部科学大臣に対して、山野貝塚の一部を国史跡に追加指定することについて答申しました。この結果、来年2月に予定される官報告示の後に、山野貝塚の一部が国史跡に追加指定され、指定の範囲が広がることになります。

 史跡は我が国の歴史の正しい理解のために欠くことのできない学術上価値の高い遺跡等に対して、文部科学大臣が指定するものです。

 山野貝塚は、遺跡の保存状態が良好で、また縄文時代の貝塚が全国で最も多く所在する東京湾東岸地域において、現存する大型貝塚の中では最南部に所在し、東京湾東岸に密集する貝塚群を考える上で非常に重要な遺跡であることから、平成29年10月13日に国史跡指定に指定されました。

 

2.名称

 山野貝塚(さんやかいづか)

3.種別

 史跡

4.所在地

 袖ケ浦市飯富字山野

5.所有者

 個人(道路は袖ケ浦市有地)

6.年代

 縄文時代後~晩期(今から約4,000~2,300年前)

※山野貝塚の大部分は私有地のため、立ち入ることができませんので、道路から見学するようお願いします。

山野貝塚の現地説明会・講演会を開催します

 国史跡の追加指定に答申された山野貝塚について、その重要性や保護する意義を周知するための企画を実施します。

 ぜひ、ご参加ください。なお、詳細は、広報12月1日号、1月1日号とホームページでお知らせします。

  • 平成30年12月15日(土曜日)  山野貝塚現地説明会
                        郷土博物館で山野貝塚の展示を見学した後、山野貝塚までの散策コースを
                        解説を聞きながら歩きます。

 

  • 平成31年1月26日(土曜日)     山野貝塚講演会(会場:市民会館)
                        今回は、山野貝塚から縄文時代のムラと社会を探ります。

山野貝塚の重要性

1. 縄文の景色を今に伝える貝塚

 山野貝塚は縄文時代以降、現在まで大きな土地の改変を受けておらず、遺跡の保存状態が良好です。昭和48年以降実施された7回の発掘調査では、遺跡全体の約3%しか調査しておらず、未調査範囲の地中には約4,000年前の縄文時代の痕跡が色濃く残されています。

 山野貝塚は、まさに「縄文の景色を今に伝える貝塚」と言えます。

山野貝塚の航空写真(昭和54年告訴地理院撮影)
山野貝塚航空写真(昭和54年国土地理院撮影)
白く半円形に見える部分が貝塚

2.房総半島に現存する大型貝塚の中で最も南に位置する貝塚

 日本で最も多く縄文時代の貝塚が分布する東京湾東岸地域において、山野貝塚は現存する大型貝塚の中で最も南側に位置する貝塚です。東京湾東岸における貝塚の分布をみると、北部には貝塚が多く分布しているのに対し、山野貝塚を含む南部には貝塚の分布が少なくなります。

 そのため、山野貝塚は東京湾東岸の南部の貝塚を理解するとともに、東京湾東岸の貝塚群の広がりを考える上で不可欠の遺跡となります。

千葉県内の縄文時代後・晩期貝塚分布図
千葉県内の縄文時代後・晩期貝塚分布図

3.東京湾の内湾部と外湾部の貝塚の両方の要素を併せ持つ貝塚

 発掘調査によって発見された魚の種類をみると、東京湾の内湾域に生息するスズキ・クロダイを主体としながらも、外湾域に生息するマダイも一定量含まれます。また、外湾部で多く出土するイルカ・クジラ類も東京湾東岸の北部の貝塚に比べて多く出土しています。さらに、出土遺物を見ると、外湾部の貝塚で多く発見される海棲哺乳類を獲得するための鹿角製の銛先も出土しています。

 このように、山野貝塚は、東京湾東岸のほぼ中央部に位置するという地理的特徴から、東京湾の内湾部の貝塚との多くの共通点を持ちながら、外湾部の貝塚の特徴も併せ持った貝塚であることを示しており、東京湾東岸に集中する貝塚群のあり方を考える上で重要な貝塚です。

骨角歯牙製品(こっかっくしがせいひん)(右上が銛先)
骨角歯牙製品(こっかっくしがせいひん)(右上が銛先)

4.東京湾東岸南部の拠点集落

 山野貝塚は、縄文時代中期末葉から晩期中葉にかけて長期間営まれた集落の変遷を追うことができます。

 また、出土遺物を見ると、他地域との交流があったこともわかります。中でも縄文時代後期から晩期にかけての東北地方や近畿地方の影響を受けた土器が出土し、また、石器に利用された石材の中には、山野貝塚から約200km離れた新潟方面からもたらされたものもあります。さらに、貝製品の素材であるオオツタノハは、海を越えて八丈島方面からもたらされたと考えられます。

 以上のように、山野貝塚は約1700年にわたり集落が営まれ、さらに他地域から多くのものがもたらされていることから、縄文時代後・晩期の東京湾東岸の南部における拠点となる集落であったと考えられます。

縄文時代後期柄鏡形住居
縄文時代後期柄鏡形(えかがみがた)住居

縄文時代後期土坑内の貝
縄文時代後期土坑(どこう)内の貝

山野貝塚から発見された土器
山野貝塚から発見された土器

縄文時代後期近畿地方の影響を受けた土器
縄文時代後期近畿地方の影響を受けた土器

山野貝塚の詳しい内容についてはこちら

山野貝塚パンフレットはこちら